5年ぶりの帰郷。私は何が怖くて、何が嫌で地元から逃げ出したのか【神野藍】
神野藍 新連載「揺蕩と偏愛」#11
◾️私の居場所
ワンワンワンワン…。動けないまま犬に襲われたと思ったら、我が犬が外に向かって吠えていた。近くに置いてある携帯を拾い上げると、時刻は7時と表示されていた。どうやら私は現実にちゃんと帰ってきたようだった。起き上がることもできるし、声を出すこともできる。あーっ、あーっと意味もなく音を出す。洗面所に向かい、ふと鏡の中の私を見つめてみると目尻がほんの少しだけ湿っていた。
当日、怯えながら新幹線から降りてみると真空パックに保存されていたかと疑ってしまうぐらいに何も変わらなかった。周りを見渡しても、ふらふらと彷徨ってみても私を脅かす何かは見つからない。思わず胸を撫で下ろすと同時に、私はとある疑問が浮かんだ。
私は何が怖くて、何が嫌でここから逃げ出したのだろうか。そしてなぜずっと敬遠してたのだろうか。いまいち理由が分からなかった。この土地の空気を身体に取り込んでも、何も起きなかった。胸を熱くするような懐かしさや身体が拒絶する嫌悪感は込み上げてこない。何も生まれてこない無味無臭の空気だった。東京であれこれ考えている間はあんなにも不調に陥っていたというのに。
でも、今回ではっきりとしたことがある。
この土地は私にとって生まれ育った場所には違いないが、帰る場所でも精神的な拠り所ではない。私には帰るべき場所がある。そしてそこでは誰にも支配されずに一人で立つことができている。その紛れもない事実は私の中で勝手に膨れ上がっていた恐怖心みたいなものを薄めてくれた。
同じようにこの土地を離れた人間たちが酔っ払って「東京は住む場所じゃない」と話しているのを聞いて、思わず飲んでいる酒を吐き出しそうになった。
私は東京が住む場所で、私のたった一つの居場所で、絶対の聖域。きっと東京に恋しているのかもしれない。いやもっと汚い、もっと醜い執着だ。この場所で何度もずたずたに傷ついたとしても、離れることなく呼吸し続ける。
ここだと誰に寄りかかることなく、色々なラベルを付けられることなく、1人の人間として扱われる。もう同じ沼地には戻りたくない。誰にも重たい鎖の首輪を付けられたくないのだ。
ここまで書き終えたとき、そのまま深い眠りへと落ちた。
次に私の耳に届く音は、東京駅へ到着する合図だろう。
文:神野藍
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✴︎目次✴︎
はじめに
#1 すべての始まり
#2 脱出
#3 初撮影
#4 女優としてのタイムリミット
#5 精子とアイスクリーム
#6 「ここから早く帰りたい」
#7 東京でのはじまり
#8 私の家族
#9 空虚な幸福
#10 「一生をかけて後悔させてやる」
#11 発作
#12 AV女優になった理由
#13 セックスを売り物にするということ
#14 20万でセックスさせてくれませんか
#15 AV女優の出口は何もない荒野だ
#16 後悔のない人生の作り方
#17 刻まれた傷たち
#18 出演契約書
#19 善意の皮を被った欲の怪物たち
#20 彼女の存在
#21 「かわいそう」のシンボル
#22 私が殺したものたち
#23 28錠1シート
#24 無為
#25 近寄る死の気配
#26 帰りたがっている場所
#27 私との約束
#28 読書について1
#29 読書について2
#30 孤独にならなかった
#31 人生の新陳代謝
#32 「私を忘れて、幸せになるな」
#33 戦闘宣言
#34 「自衛しろ」と言われても
#35 セックスドール
#36 言葉の代わりとなるもの
#37 雪とふるさと
#38 苦痛を換金する
#39 暗い森を歩く
#40 業
#41 四度目の誕生日
#42 私を私たらしめるもの
#43 ここじゃないどこかに行きたかった
#44 進むために止まる
#45 「好きだからしょうがなかったんだ」
#46 欲しいものの正体
#47 あの子は馬鹿だから
#48 言葉を前にして
#49 私をほどく
#50 あの頃の私へ
おわりに